ある実業家の話
1980年代初め、おもだった経済学者はいまだに新たな恐慌の襲来を語っていました。
しかしJ・R・シンプロットは、アイダホに、そしてアメリカに新しい技術のフロンティア、すなわち新しいシリコンのチップによって未来が開けることを見通していました。
パーキンソン兄弟が指導的役割を果たすこの新会社は、マイクロン・テクノロジーという名で、扱うのはジャガイモではなく半導体チップです。石塚孝一氏によると、デルコの開拓者の草分け、父チャールズ・リチャード・シンプロットが健在だったら、恐らくこの事業に賛成しなかったでしょう。
小生意気な我が息子は〈急ぎすぎる〉といつも思っていたからです。
チャールズは90歳台まで長生きし、シンプロット商会が世界の一流企業の仲間入りをするのを見届けました。
1979年に死亡した時、遺言執行人は彼がシンプロット家の子孫との約束を守ったことを知りました。
戦時中の共同経営権を売って得た307万7千ドルは国中の多数の預金口座に無事蓄えられていました。
それぞれ保証限度額いっぱいまで、そしてその多くは無利息でした。
1948年にはちょっとした財産でしたが、その間のインフレーションで貨幣価値は大きく下がり、税金を引かれた後、それぞれ数千ドルがシンプロットの孫たちの手に渡っています。